手塩にかけて、たわわに実るブルーベリー
琵琶湖からほど近い、野洲川の河口付近に広がる肥沃な農耕地帯。その一角に、株式会社レイクスファームの辻久美子さんが手掛けるブルーベリー園はある。長梅雨の影響で例年より生育が遅いというが、今年もブルーベリーの実がたわわに実った。
「ブルーベリーは、一房に完熟と未熟の果実が混在するので、収穫の見極めが難しいんです」と、収穫期に入り忙しそうな久美子さんが、ラビットアイ系バルドウィンの房をそっと持ち上げ説明してくれた。
一粒2g程度の果実を、多い日は一日で30~40Kgも収穫する。一瞬で判断して収穫しないと、せっかくの果実が落ちてしまい、ションジョウバエなどの害虫を誘引しかねない。「ブルーベリーは皮ごと食べるものだから」と、農薬も除草剤も使わないことを決めているので、原因の排除に細心の注意を払う。
とはいえ、初めからそうした農家の志が久美子さんにあったわけではない。久美子さんが就農したのは、農家に嫁いでから10年経った2007年のこと。そこには、ある思いがあった。
オレゴンで食べた農家のブルーベリー。体中に電気が走った
2005年、当時主婦だった久美子さんは、家族旅行でアメリカオレゴン州のブルーベリー農家を訪問した。その年、ミノムシが大発生した義母のブルーベリー園の対策を聞くためだった。
「その時食べたブルーベリーの味が忘れられなくて。食べた瞬間、体中に電気が走ったようでした」。
ところが、翌年、義母のブルーベリー園の防鳥ネットが大雪で倒壊。そのままジャングル化してしまったところを、叔母と久美子さんで剪定を始めたことがきっかけとなり、久美子さんはブルーベリー農家の道を歩むことになった。
「予定外の就農でした。でも、私は目標にしたいブルーベリーにオレゴンで出会ってしまったんです。おいしくないブルーベリーは絶対に売りたくなかった」と久美子さんは決心し、日本ブルーベリー協会の勉強会に参加したり、先輩農家の指導を受けたりしながら、栽培技術を積極的にマスターしていった。
害虫や雑草との闘い。温暖化対策の課題も
「農薬や除草剤を使わないということは、一年中、害虫や雑草と闘うことを意味します。冬も翌シーズンのための剪定作業や土づくりに追われます」と、久美子さん。
女性も手軽にできるイメージが先行し、一時は生産者が急増したブルーベリーだが、どんな作物にも共通して言えるように、ブルーベリーもまた決して楽な作物ではないようだ。
さらに、新たな品種が日進月歩で開発され、今や国内では沖縄以外で栽培が可能とされるブルーベリーだが、もともと寒冷地を好む性質であるため、これ以上温暖化が進むと品質の維持が難しくなる可能性もあるという。直植えで大切に育てれば20~30年はもつブルーベリーの樹。今後の気候変動も熟考して計画したい。
たくさんの人に支えられ、今がある
あるとき、久美子さんのブルーベリー園が盗難の被害にあった。この事件以来、農園には電気柵と防犯カメラを設置が設置された。台風やスコールで畑が一瞬にして紫色の海になったこともある。それでも、
「いろいろ大変なこともありますが、困ったときはいつも誰かが手を差し伸べてくれる。みなさんのお力添えがあって今があります」と、感謝の気持ちを忘れない。
そんな久美子さんのもとでは、取材中もパートの女性たちが額に汗しながら楽しそうに働き、親戚が農作業の合間に「スイカ持ってきたろかー」と様子を見に来てくれるなど、人が生き生きと働く様子がうかがえる。
最近の関心事は、農福連携の「アグリセラピー」。交流のある精神保健福祉士から聞いて、その存在を知った。
「農業は、科学がどれだけ発展しても生きていくうえで必要なもの。人間の原点に立ち返れるものなので、これからの時代は、ますます人間の精神に寄り添えるものになってくると思います」と語る。
ちなみに久美子さんの得意技は編み物。幼い頃から熱中し、社会人になってからも編み物講師を目指していたほど。「一本の糸から形作られる可能性は無限大。私のものづくりの原点です」という。
変わりゆく状況を受け入れながら、進化していく久美子さん。手入れの行き届きたブルーベリー園は、そのしなやかさの証そのものだ。