「すし切り神事」伝統続く幸津川集落
「主人は自営で別の事業を経営していますが、主に米・麦・大豆の生産や、梨園の草刈り・剪定・枝切りなどの力仕事を、自営業と兼業しながら農業に従事しております。枝のくくりつけから、摘蕾・摘果・収穫・販売は主に私がやっている感じです。」と話す、真理子さんのご自宅は、長い箸を使用し鮒ずしを奉納する「すし切り神事」で有名な下新川神社に隣接している。春の祭りのときは多くの人が集うそうだ。幸津川はおよそ230戸の集落、7割は農地を持ち、5戸程度が専業で農業しているという。長く洪水に悩まされていた旧野洲川の国の治水事業が1970年代後半に行われる前は、幸津川集落の西は、琵琶湖につづくクリークが広がり、船をつかって農作業していたと伝わる。川の流れを人為的に変える治水事業のために、農地移転を余儀なくされ、代替え地として現在の湖岸付近に、義父をはじめ幸津川の農家が1980年代から梨を栽培するようになった。
6次産業化のリーダー
真理子さんは結婚出産を経て、市役所の臨時職として各課の業務に従事したこともあり、守山市のまちづくり会社である「株式会社みらいもりやま21」の設立時から常勤スタッフとして勤務した。中心市街地活性化の任務の元、商店街のにぎわい作りやイベントの開催、「もりやまブランド」のPRなどを手掛けてきた。守山メロンのピューレを使用した「メロン飴」や笠原しょうがを使った「しょうが飴」の販促や「もーりータオル」といったグッズなど、もりやまブランドの開発などにも携わった。「義父が主に栽培していた時から、休日や仕事から帰ってきてから梨の収穫や販売を手伝ったりしていました。もともと、土いじりや植物を育てるのは好きなので、継ぐことは以前から考えていて、会社勤めをやめて本格的にやりたかった。特に就農する準備はしていないけれど、義父の教えの他にも、県などが主催する農業研修に参加し梨の栽培を学びました。」
真理子さんが梨栽培を本格的に始めることになった、ちょうど同じ時期に、町内では休耕田を利用した地域活性化をすすめるため「幸津川農業振興組合6次化プロジェクト」が発足した。このプロジェクトでは、おもに休耕田をつかって小豆やさつまいもを生産し、小豆を使い幸福赤飯として加工し販売している。真理子さんは、まちづくり会社での活動や今までに培って来た経験を見込まれてプロジェクトチームの加工部の責任者に抜擢される。サイズが小さかったり傷が付いていたりして市場に出回らない梨を有効活用できないかと持ち掛け、真理子さんがリーダーとなって自治会の女性部8名で梨ジャムの加工にも取り組んだ。このジャムは、イベント時などに販売しているという。
梨収穫の2か月間はアドレナリン全開
梨栽培では、12月から2月は枝の剪定・誘引・くくりつけ、花が咲き始めるころから摘蕾作業、4月のはじめごろにハチを数週間レンタルして、受粉させる。その後6月は下草刈り、摘果作業、8月から10月初旬まで収穫に追われる。梨は、すぐ傷んでしまい保存がきかないため、加工ジャムづくりも出荷で一番忙しい時期にせざるを得ない。真理子さんにとって梨栽培は、「毎日観光農園で体験しているような、エクササイズのようで楽しい」気持ちが強いという。梨栽培の繁盛期である「8月と9月は目まぐるしい毎日で必死だが今頑張ればなんとかなる!」という姿勢で、一年を通しての栽培の手間は大変だが、収穫の喜びは達成感もあり、やりがいにつながっている。天候や台風などで、被害を受けることもあり、販売の采配が難しいが、頑張れば良い物ができる喜びがあり、作業自体にヒーリング効果があるように感じているという。真理子さんは、気が遠くなる摘果・枝の選定などの作業も、毎日半日程度と決めて作業し、自分のペースで無理なく仕事にあたっている。夏の暑い時期の収穫作業のリズムとして、屋外に出るのは午後の3時間程度にし、午前中は配達や外回りなどの作業と組あわせて、1日の作業時間を計画的に設定し、なるべくストレスフリーになるように心がけているという。
収穫された梨は、地元の直売所ファーマーズ・マーケットおうみんちなどでは「まりこ梨」として人気があり、守山市のふるさと納税返礼品として全国に向け発送されるほか、近江八幡市のびわこだいなか愛菜館、草津市の草津あおばな館などの店頭に並ぶ。
今後の目標として「こちらから販売に行かなくとも、お客さんから購入に来ていただけるくらい、美味しい梨!と言ってもらえる梨農家になる!」と真理子さんは語る。