紫香楽宮跡1200年前から続く里山の景色
「もともと先祖の代から、山に行って木や石を切り出して、大阪売りに行ったり、何かしら里山や田畑の仕事をする家庭で育ち、祖母が畑で土いじりしているのをよく見ていました。結婚し二児の母となった後に帰郷して地域の高齢化と農業離れの進行に危機感を覚えました。」智子さんは帰郷して数年間は飲食関係の仕事についていたが、2019年より就農についての情報集めをしながら県や市に相談していった。子育てとの両立を考え、自宅周囲の畑でできることを模索し、ハーブと花に特化した少量多品種の「宮里農園」を設立した。農業技術不足、栽培規模の小ささから認定新規就農者にはなれなかったが、2020年に宮町営農組合の一員になり、機械などはもともと家や集落にあるものを利用するなどして、米、大豆栽培に携わりながら農業を学び始めた。
智子さんが住む宮町の集落は、周辺の3方を山に囲まれており、今からおよそ1250年前の奈良時代に聖武天皇が造営した都、紫香楽宮の遺跡が水田の下に眠っている。
「いまから20年ほど前に、田んぼの周りを獣害柵で囲うのは、絶対やめようと決めたそうです。景観を損なうと、せっかく紫香楽宮跡に思いを馳せてきたお客さんが見たらがっかりする。手間はかかるが、里山のふもとにそって獣害柵を張り巡らしたと、営農組合の組合長さんから聞きました。」智子さんは、こうした景色を守ってきた先輩方の想いを受けて、これからもこの景色を守り、多くの人に紫香楽宮跡を訪ねてもらいたいと思うようになったという。信楽焼などに比べてあまり認知度は高くはないが、紫香楽宮跡の発掘調査は、ちょうど智子さんが小学生のころ行われていたこともあり、「紫香る楽しい」信楽、この地名のパワーが、智子さんの活動を後押ししていく 。
むらさき色が香る楽しい場所で生まれた「しそジュー酢」
智子さんが「地域のために何ができるのか」と本気で考え願いながら動くと、驚くような展開と出会いがあり、家族や友人の何気ない言葉がきっかけで、物事が動いていった。
信楽の宮町地域では多くの家庭で毎年夏に赤しそジュースが作られる。智子さんも自家製のしそジュースを作っており、広島出身の友人に出した際、「初めて飲んだけどめちゃくちゃ美味しい!商品化したらいいのに!」と絶賛されたという。息子たちも大好きで、これはぜひ商品化しようと決意した。
しそジュースプロジェクトと題し、様々に試行錯誤をしているなかで三重県のお酢蔵さんが小ロットで生産を受けてくれることになった。そのお酢蔵の創業者の名前と、21年前に他界した智子さんのお父様の名前が同じ「茂吉」ということにご縁を感じたという。また、商品ラベルを考えている時に、地元の風景を描き、宮町というところに紫香楽宮があった事を多くの方に伝えたいと考え、イラストレーターさんを探していたところ、インスタグラムでとても惹かれる水彩画を描かれる方を見つけた。さっそくコンタクトを取り、引き受けていただけることになり、宮町に来てもらった。お話ししていると、その方のおばあさまの家が、紫香楽宮を置かれた聖武天皇光明皇后の御陵の石垣のすぐ横にあることがわかった。ここでも見えない力の引き合わせを感じたという。商品にもこだわりは詰めている。赤しそは固定種「かおりうらしそ」を使用。お酢は蔵仕込みの醸造酢を使用。砂糖には北海道産ヴィーガン認証てんさい糖を使用。隠し味に自家製梅酢を入れている。
花やハーブなど自由に収穫できる農園づくり
「第一は土作り。農園周囲の落ち葉や草、豆がらから植物性堆肥を作り畑にすき込み、農薬、化学肥料、動物性堆肥を使わない。第二に種はできる限り自家採取し購入する場合も無農薬、無肥料栽培の種子を選んでいく。植物の性質に合った環境を整えることを目標にしたい」と智子さんは意気込む。小さな農園で生計を立てるために知恵を絞り、考えては動き、考えては動きする中で驚くような出会いや体験があった。すべてが学びで楽しい。そのことすべてに感謝を感じているという。土や植物に触れ、香りを楽しむ生活が自分にとっても心地よく、そこから生まれたものが人に喜んでいただけることで二重の喜びになっているそうだ。
これから智子さんは、アロマテラピーの知識や薬草コーディネーターの知識をもとに作付けや使用の組み合わせを考え提案し、花、ハーブ、果樹、野菜、虫などを自由に収穫できる農園作りをすすめていきていきたいと考えている。「科学的な農薬や肥料を使わず作物を育てることが特別ではなくなり、自然の力で育った植物が身近になっていく事を目指していきます。」